2026.04.22Bee myself
連載① はちみつのある暮らしーBee myself
横浜から軽井沢に移住して1年。新しい環境下、手探りの生活が始まった。
行き着いた先が「はちみつのある暮らし」だった。
自然に恵まれた生活のひとこまを四季折々の風景とともにお届けします。
横浜に別れを告げて
横浜から軽井沢に転居し、1年が過ぎようとしている。前年の春、市中を流れる大岡川沿いの満開の桜並木を後にし、こちらに来てみれば桜の季節にはまだ早かった。
新居は軽井沢町の西のはずれ、落葉松と広葉樹の森に囲まれた北欧風の造りの家だ。ゆるやかな傾斜地に建ち、リビングの窓からは群馬県境の山の稜線が見渡せた。慌ただしい毎日のなかで、裸木が次々に新芽をつけ、若葉が深い緑に覆われるまで、そう時間は要しなかった。コブシ、サクラ、ツツジと花の季節も早春から初夏へ一気に駆けめぐった。
梅雨の晴れ間には、高原の風が吹きぬける。木陰のテラスで蝉の大合唱に聴き入った束の間の夏。晩秋、落葉松は陽の光に黄金色に輝き、広葉樹は思い思いの色彩で目を楽しませてくれた。浅間山に会いたいときは、家から少し歩いた「みはらしの丘」に立つ。冬の大地にどっしり聳え立つ姿は、気高く優美だ。
軽井沢移住は、長年の夢だった。この町は、若い頃から愛読してきた堀辰雄や立原道造が愛した土地であり、現在も尊敬する作家が暮らす。何よりも自然豊かな憧れの地で、からだを動かす仕事をしてみたい。その強い思いがついに叶った。
養蜂家との出会い
ある日、地元で国産生はちみつの製造販売を手がける会社のホームページを見ていたとき、養蜂のパート募集の欄に目がとまった。「これだ!」と思った。養蜂に関しての知識ゼロ、何をやっても不器用で、力もない。そんな輩に仕事が務まるのかと自問したが、自分の直感を信じて、面接にのぞんだ。それが養蜂家・雨宮さんとの出会いだった。未経験の私を快く受け入れてくださった。移住して4か月が過ぎていた。
9月に養蜂のパート仕事は始まった。採蜜の時期はすでに終わり、作業は1年のうちの終盤を迎え、冬越えの準備にとりかかる頃合いだった。旧軽井沢から車で20分ほどの養蜂場に雨宮さんが案内してくれた。そこでミツバチの大群と巣箱を初めて目にする。ミツバチの羽音が幾重にも重なり耳に届く。
「ミツバチたちは、れっきとした社員です。だから、極力ストレスや刺激を与えず、気持ちよい環境で働いてもらいたい」と雨宮さんは話す。そのためには、「日頃から蜂の動きや巣箱の中の状態を丁寧に観察し、適切に対処することが大切なんです」と巣箱を前に教えてくれた。不思議で神秘的な、ミツバチの世界の扉が開かれた瞬間だった。
はちみつで始まる朝
蜜源から花粉と蜜を運ぶのは雌のミツバチの仕事である。働き蜂が一生かかって集める蜜の量はティースプーン約1杯分。その寿命は、わずか1か月ほどだという。
4月、気持ちよく晴れた朝には、家のテラスで朝食をとる。ハニープラント製の軽井沢産マロニエの瓶が手元にある。
きょうは、シンプルにパンとヨーグルトと一緒に味わおう。花の香りと上品でなめらかな舌触り、どこまでもピュアな蜜の深い味わい…。ミツバチたちが一生懸命集めてくれた貴重な一滴。Bee myselfー自分らしく。移住2年目の山の暮らしが、春の訪れとともに幕を開けた。(April,2026)
Text&Photo/鑓田浩章(やりた・ひろあき)
編集者兼ライター。ハニープラントで養蜂の手伝いをしながら、自然環境、地域産業、歴史文化等を切り口に、浅間山麓でのフィールド活動を行う。
JAL機内誌、JR東日本車内誌、日立製作所ほかのPR誌の編集に長年携わる。著書に『港で働く』『魚市場で働く』『通訳者・通訳ガイドになるには』(ぺりかん社刊)など。







読み込み中...