松代養蜂の歴史
依田さんが養蜂を始めたのは1976年のことです。半世紀も前になります。義理のお父さまが米作りやりんごの栽培をしながら、ミツバチを飼っていました。「この先、養蜂を手伝ってくれないか」と頼まれ、ミツバチをわけてもらい、養蜂家としての第一歩を踏み出しました。32歳のときでした。
長野県は寒いため、厳寒期の2月になると紀伊半島の南端、三重県の海岸沿いの町に巣箱をトラックに積んで移動させていました。そこで越冬したミツバチたちは、春、暖かい陽ざしのもと数を増やして4月の半ばに長野へ戻ってきていました。三重県で2か月半ほど過ごす転地養蜂は、10年間ほど続けていました。
その後、北信地域で冬を越すために、小さなビニールハウスの中に巣箱を入れてみたところ、順調に蜂も増えていきました。しかし、新たに増設した大きなハウスではうまくいきません。そこは日当たりが良すぎるあまり、ハウス内が乾燥しすぎてしまい、蜂にとって住みよい環境とはいえなかったようです。
発想の転換を迫られた依田さんは、長野県でも比較的暖かい飯田市や山梨県のほうへ持っていったらどうかと考えました。山梨はさくらんぼ、ぶどう、ももと果樹栽培が盛んな地域です。受粉用(ポリネーション)に蜂を貸し出している農家さんも少なからずありました。この地で蜂を増やす作業は6~7年前まで続けられていました。
最近は温暖化もあって南の地域へ持っていかなくても、長野市松代町の自宅に近い場所で冬を越せるようになっています。巣箱の中が冷え込まないようにいろいろ工夫して対策を講じておけば、蜂がつくれるようになりました。現在、180群(箱)ほどの蜂を冬から春先にかけて準備して採蜜に備えます


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